DEENとは?

1993年3月10日、シングル『このまま君だけを奪い去りたい』でデビューしたバンド。バンドとしての下積みはない。デビュー当時は4人組だが、現在は2人組。現在のメンバーは、ボーカル担当の池森秀一さん、キーボード及びコーラス担当の山根公路さん。

それまで個々の活動(ライブ活動やスタジオミュージシャンとしての活動)をしていた4人が、やがてレコーディング・スタジオで出会う。意気投合、それぞれの目指す音楽の方向性が一致し、DEEN結成へとつながっていった。【会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.3】※しかしこれが真実とは限らない。

バンド名の由来

メンバーそれぞれの頭文字から取りました【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.15】※田川さんの冗談。

「DEEN」という名前は、響きや語感が良かったという理由で、スタッフを含めて、その時のフィーリングで決まった。【会報『DEENIM』Vol.3(1995年発行?)、p.9】

2005年10月17日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」29回目では、池森さんが以下のように話した。
「DEENの由来。この由来もですね、 [略] 特に深い意味はたぶんございません。 [略] プロデューサーに直接聞いたことがないんです。 [略] 『君らはDEENで行くから』っていう話で、『わかりました』っていうね。特にその頃はもう、ホヤホヤですから、僕らも。ウキウキですから、どういう意味があろうがなかろうが、まったく関係なく。ただ、『響きがいい』というのは言ってました。あと文字のスペルの、D-E-E-Nという所に、グッと来るものを感じたんじゃないですかね、プロデューサーがね。僕らが付けたわけじゃないんで。」

メンバー

池森秀一
いけもりしゅういち。ボーカル担当。
1993年春のソロデビューを目指していた【『ウーマンドリームオリジナルサウンドトラック』のブックレットより】。当時のプロデューサーの提案で「このまま君だけを奪い去りたい」を試しに歌ったところ、この曲でデビューすることが決まった。しかし今までやっていた音楽とは違ったため、ソロではなくバンド編成にすることになった【「DEEN LIVE JOY-Break15」最終日のトークより】
山根公路
やまねこうじ。キーボード及びコーラス担当。
DEENのリーダー。年功序列で山根さんがリーダーになった【2011年6月17日放送のFMヨコハマ「ANIMO music labo」より】
1992年に「WARM UP」というバンドでボーカルを担当していた。池森さんと同じディレクターに見てもらっていた。ピアノやコーラスをやらないかと言われ、来た仕事は断らない主義だったため、すぐに「やりますよ」と答えた。池森さんの声に惹かれた部分もあった。【2005年11月7日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」32回目より】

1992年当時のメンバーは池森さんと山根さんだけだった。デビュー当時のDEENは4人だが、まだ2人は決まっていなかった。【2007年9月8日放送のBS朝日「ALWAYS' MUSIC」にて池森さんが発言】

脱退したメンバー

仲居辰磨
なかいたつま。ギター担当。デビューシングル『このまま君だけを奪い去りたい』から4枚目のシングル『永遠をあずけてくれ』まで在籍。
倉澤圭介
くらさわけいすけ。ドラム担当。デビューシングル『このまま君だけを奪い去りたい』から5枚目のシングル『瞳そらさないで』まで在籍。
田川伸治
たがわしんじ。ギター担当。1994年1月8日に加入【DEEN OFFICIAL SITE、「Profile」内「Biography 1994」より】
スタジオミュージシャンとして、ある編曲者の仕事をしていた。その人はDEENも手掛けていて、そこでDEENと出会った。その後、なぜかDEENのメンバーとして参加することになった。【「Yahoo! オークション Guitar Labo『田川伸治さんインタビュー Vol.1』」より】
2018年1月12日、DEEN公式サイトにて脱退を発表。2018年3月10日の日本武道館公演をもって脱退した。脱退の理由について、田川さんは次のように書いている。――25周年を機にDEENを離れ、一ギタリスト、一音楽人として新たなチャレンジをしたいという思いからです。【DEEN公式サイト、2018年1月12日付けの記事「田川伸治 脱退のお知らせ 」、https://www.deen.gr.jp/news/detail.html?info=244、2023年7月7日アクセス】
宇津本直紀
うづもとなおき。ドラム担当。1994年6月28日に加入【DEEN OFFICIAL SITE、「Profile」内「Biography 1994」より】。2000年1月、会報『DEENIM』Vol.21にて脱退を発表。1999年12月31日のカウントダウンライブをもって脱退した。
脱退の理由について、宇津本さんは次のように書いている。――Break4のツアーが始まる頃から、「DEENのドラマー」として、自分自身が求めていくスタイルとの違いを感じ始め、これ以上自分の中でDEENのドラマーとしての活動を継続していくことが難しくなってきていることを感じました。【会報『DEENIM』Vol.21(1999年発行)、p.14】