注1よりも注2のほうが正しい気がするけど気にしないように。
2008年6月3日放送のJ-WAVE「PLATOn」より。DEENが今所属している事務所はGOOD-DAY。DEENの当時の音楽プロデューサーは長戸大幸さん。
本心はブラック・ミュージックをやりたかったが、「音楽をやる」という夢をつかむため、何でもやりますという気持ちで歌った。【2005年12月20日の『中日スポーツ』より】
札幌に出てきた頃によく行っていたのがライブハウス「テンプス」(今はない)。――すごくカルチャーショックを受けた場所でした。本当にソウルな店。
――そこでゲイリーさんと出会った。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.4】
中学生のときはフォーク・ソングが流行っていたというか、フォーク・ギターを持って学園祭で歌うことが流行っていた。池森さんも学園祭では必ずアコースティック・ギターを持って、長渕剛さんの曲などをやっていた。アコースティック・ギターを持って歌う先輩の姿に憧れて、まねしたいという気持ちがあった。【2005年4月25日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」4回目より】
17歳のとき、ある日突然「このままじゃいけない」と思って、「プロのミュージシャンになるんだ」と思った。姉が音楽(のプロ)を目指していて、姉は当時「スター誕生」の決戦大会に行って特別賞をもらった。姉が目指したから自分も目指したというわけではないが、自然な流れなのか「このままじゃいけない」と思った。【2005年5月16日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」7回目より】
DEENとしてデビューする前に、音楽プロデューサー・長戸大幸さんの運転手の助手を1か月やっていた。ラジオの司会者に「なんですかそれは」と問われ、「助手席に乗っていた」と答えた。当時、長戸さんに会うことは難しく、池森さんの所属事務所の社長が「プロデューサーのそばにいれば毎日お前の顔を見るだろう」と思い付いて送り込んだのでは、と話した。それが功を奏したのかわからないが、「試しでいいからちょっと歌ってみて」と言われた。【2023年12月17日放送のFMヨコハマ「プラする~あなたにプラスするラジオ~」より】
以下、すべて「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。
池森さんある日姉のボーイフレンドがギターを持ってきてさ、それを弾いてる姿がカッコよくて!その兄ちゃんが家に来るたびギターを教えてもらったんだよ。
池森さんが11歳のとき、17歳の姉が「スター誕生」というテレビ番組に出た。
池森さんその影響なのか、17歳になったときに、突然プロの歌手になりたいと思ったんだよね。
札幌で歌っていた頃の話。
池森さん今もDEENの作品に参加してくれてるゲイリーっていう黒人ミュージシャンと出会って、彼のバンドの歌を聴いたら、ものすごい衝撃を受けたんだよね。“これが本物の歌なんだ…”って。
早速、ゲイリーさんとデモテープを作った。すると、以前から池森さんを応援してくれていた人が、東京出張に行くついでに知り合いの事務所に紹介しとくよ
と言ってデモテープを持っていってくれた。
池森さんそしたら“すぐ東京に来てください”って…
そして上京。ちょうど別の子がオーディションやるから、じゃあ君もいっしょに…
と言われてオーディションを受けたら合格した。
池森さんその年の冬にはTVドラマの挿入歌でソロデビューさせてもらって。“夢ってこんなにすぐ叶うの?”なんて…
大きく打ちのめされたのは、そのあとだった。
池森さんソロデビューにあたって曲を作っていたんだけど、“それじゃダメだ”って言われて、まったく為す術がなかった。札幌にいた頃の知識と技術が僕のすべてだったから。完全に壁にぶつかっていたら、プロデューサーから“1年間勉強しよう”って言われて。ショックどころか、ホッとしたね。レッスンに通って、そこでの勉強が実に大きかった。それで1年後にDEENとしてのデビューが決まったわけです
小学校4年生の冬、町内会のスキー合宿に参加した。宿泊先にジュークボックスがあり、中高生の男子が洋楽をかけていた。山根少年は卓球ばかりしていた。だがビートルズの「Please Mr. Postman」が流れたとき、身体中が絞め付けられる、まさに一目惚れのような感覚に陥った
。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.9】
ミニ・アルバム『COZZY』の特典(からアクセスできるWebページ)に、0~26歳のことが詳しく書かれている。怒られそうなので引用しない。
キーボードを選んだのは、生のピアノの音が好きだから。18歳のときにプロになろうと思った。【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.4】
音楽でやっていきたいと思ったのは高校生くらいのとき。純粋に音楽が好きだったからであり、モテたいからという不純な気持ちはなかった。自由に音楽をやれる時間をとるために大学に入ったと言っても過言ではない(笑)
【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.4】
3歳からピアノを始めた。中学生のときは野球、高校生のときはサッカーに力を入れていた。大学に入ってからすぐにバンドを組んだ。バンドは全員男の5人編成。山根さんはキーボードとボーカルを担当。それまで主にポップスしか聴かなかったが、音楽仲間の影響を受けて、ソウル系、ブラック・ミュージック、レゲエからハード・ロックまで聴くようになった。バンドは洋楽中心で4年間続けた。その後、25歳のとき、知り合いのバンドに声を掛けられて参加した。バンドの名前は「WARM UP」。6人編成でAOR中心だった。「Keep on Dancin'」は実はこの頃に作った曲。【会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.7】
山根さんと古井弘人さんはアマチュア時代一緒にバンドをやっていた。【2008年9月8日放送のbayfm「夜カフェdeen」140回目より】
以下、すべて「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。
幼稚園の頃からピアノを習っていたが、小学五年生のときリトルリーグに入ったため辞めてしまった。その頃は洋楽に惹かれていた。
山根さん年上のイトコの家に遊びに行くと流れていた洋楽にすごく惹かれてた。中学になったら、TOTO、ジャーニー、ヴァン・ヘイレン…あとビリー・ジョエルね。
大学に入ってからバンドを組んだ。
山根さんよくモテたいから音楽やるってヤツ多いけど、僕はそういう下心がまったくなかったんだよなぁ。ホントだよ(笑)。とにかく大学に入ったらバンドをやるっていう決意だけは曲げなかった。
バンドを組んでから、仲の良かったドラマーの影響でジェフ・ポーカロなどのAORをよく聴くようになった。大学二年生くらいからコンテストに出まくったが、プロには結びつかなかった。そのため直接レコード会社にデモテープを送るようになった。そうして初めて声を掛けてもらった。しかしそのバンドはメンバーの結婚により消滅した。