DEEN結成前の池森さん
注1よりも注2のほうが正しい気がするけど気にしないように。
- 年数不明
- 毎日欠かさず音楽が流れていたという家に育つ。6歳違いの姉が楽しんでいたブラック・ミュージック/ソウルやポップスに自然と馴染む。(注1)
- 学生時代
- 中学の先輩のギター弾き語りを見て格好いいなあと思い、歌い始める。それから学園祭によく出るようになる。(注1)
- 1986年 / 17歳の頃
- 音楽のプロになりたいと思い、札幌に出て勉強を始める。【『The MUSIC CREATOR』Vol.12(ドレミ楽譜出版社)、pp.120-121】
- バンドに入り、札幌のライブ・ハウスで歌い始める。そのバンドは知り合いが集まってできたバンドで、歌志望だと言って入った。Kool & The Gang や George Benson など、好きなブラック物ばかり演奏していた。それから地元で何年間も毎日のように歌い続けた。(注1)
- バンドが入っている店でアルバイトを始める。そこで歌わせてもらうことも。(注2)
- 1988年頃 / 19歳
- あるバンドのボーカルが辞めるということでオーディションを受け、バンドに加入する。(注2)
- 1988~1991年頃 / 19~22歳頃
- 札幌の色々な場所で歌いながら、東京に行くチャンスを窺う。ゲイリーさんと出会い、一緒にデモテープを作る。(注2)
- 20歳を過ぎた頃に自作曲を歌い始める。(注1)
- 年数不明
- アルバム『SPEND THE NIGHT』に参加。(詳細不明)
- 北海道で普通に働く。【「カーセンサーnet」のインタビューより】
- 1992年 / 22歳
- 楽曲が知り合いを通じて東京のプロデューサーへと渡り、2月にオーディションを受ける。オーディションでは Marvin Gaye の「What's going on」と、久保田利伸の「Missing」を歌う。(注3、注4)
- 3月に連絡が来て上京する。(注3)
- 『ウーマンドリームオリジナルサウンドトラック』に楽曲が収録される。1993年春のソロ・デビューを目指す(注5)。
- プロデューサーの提案で「このまま君だけを奪い去りたい」を試しに歌ったところ、この曲で、バンド編成でデビューすることが決まる。【2005年11月7日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」32回目より】
- 1993年 / 23歳
- DEENの一員としてデビュー。
- 注1: 『B-PASS』1993年7月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)、p.168より。
- 注2: 「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。
- 注3: 2008年4月7日放送のbayfm「夜カフェdeen」118回目より。2005年5月9日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」6回目で曲名の話をした。
- 注4: 「東京のプロデューサー」とは、長戸大幸さん。
- 注5: 『ウーマンドリームオリジナルサウンドトラック』のブックレットより。
上京するきっかけ
- 音楽とは関係ない土産屋の社長が池森さんの歌を聴きにきていた。
- ある日、その社長が「友達がプロダクションを始めたから、デモ・テープを持って行ってみる」と言ったため、池森さんは手元にあったデモ・テープを渡した。
- そのデモ・テープが渡った先は、今の所属事務所の社長。
- 事務所の社長は、デモ・テープを音楽プロデューサーの所に持って行った。
- 音楽プロデューサーは、池森さんに「東京にすぐ出て来い」と、事務所の社長を通して伝えた。
2008年6月3日放送のJ-WAVE「PLATOn」より。DEENが今所属している事務所はGOOD-DAY。DEENの当時の音楽プロデューサーは長戸大幸さん。
試しに「このまま君だけを奪い去りたい」を歌ったときの心境
本心はブラック・ミュージックをやりたかったが、「音楽をやる」という夢をつかむため、何でもやりますという気持ちで歌った。【2005年12月20日の『中日スポーツ』より】
補足
札幌に出てきた頃によく行っていたのがライブハウス「テンプス」(今はない)。――すごくカルチャーショックを受けた場所でした。本当にソウルな店。
――そこでゲイリーさんと出会った。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.4】
中学生のときはフォーク・ソングが流行っていたというか、フォーク・ギターを持って学園祭で歌うことが流行っていた。池森さんも学園祭では必ずアコースティック・ギターを持って、長渕剛さんの曲などをやっていた。アコースティック・ギターを持って歌う先輩の姿に憧れて、まねしたいという気持ちがあった。【2005年4月25日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」4回目より】
17歳のとき、ある日突然「このままじゃいけない」と思って、「プロのミュージシャンになるんだ」と思った。姉が音楽(のプロ)を目指していて、姉は当時「スター誕生」の決戦大会に行って特別賞をもらった。姉が目指したから自分も目指したというわけではないが、自然な流れなのか「このままじゃいけない」と思った。【2005年5月16日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」7回目より】
DEENとしてデビューする前に、音楽プロデューサー・長戸大幸さんの運転手の助手を1か月やっていた。ラジオの司会者に「なんですかそれは」と問われ、「助手席に乗っていた」と答えた。当時、長戸さんに会うことは難しく、池森さんの所属事務所の社長が「プロデューサーのそばにいれば毎日お前の顔を見るだろう」と思い付いて送り込んだのでは、と話した。それが功を奏したのかわからないが、「試しでいいからちょっと歌ってみて」と言われた。【2023年12月17日放送のFMヨコハマ「プラする~あなたにプラスするラジオ~」より】
以下、すべて「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。
池森さんある日姉のボーイフレンドがギターを持ってきてさ、それを弾いてる姿がカッコよくて!その兄ちゃんが家に来るたびギターを教えてもらったんだよ。
池森さんが11歳のとき、17歳の姉が「スター誕生」というテレビ番組に出た。
池森さんその影響なのか、17歳になったときに、突然プロの歌手になりたいと思ったんだよね。
札幌で歌っていた頃の話。
池森さん今もDEENの作品に参加してくれてるゲイリーっていう黒人ミュージシャンと出会って、彼のバンドの歌を聴いたら、ものすごい衝撃を受けたんだよね。“これが本物の歌なんだ…”って。
早速、ゲイリーさんとデモテープを作った。すると、以前から池森さんを応援してくれていた人が、東京出張に行くついでに知り合いの事務所に紹介しとくよ
と言ってデモテープを持っていってくれた。
池森さんそしたら“すぐ東京に来てください”って…
そして上京。ちょうど別の子がオーディションやるから、じゃあ君もいっしょに…
と言われてオーディションを受けたら合格した。
池森さんその年の冬にはTVドラマの挿入歌でソロデビューさせてもらって。“夢ってこんなにすぐ叶うの?”なんて…
大きく打ちのめされたのは、そのあとだった。
池森さんソロデビューにあたって曲を作っていたんだけど、“それじゃダメだ”って言われて、まったく為す術がなかった。札幌にいた頃の知識と技術が僕のすべてだったから。完全に壁にぶつかっていたら、プロデューサーから“1年間勉強しよう”って言われて。ショックどころか、ホッとしたね。レッスンに通って、そこでの勉強が実に大きかった。それで1年後にDEENとしてのデビューが決まったわけです
DEEN結成前の山根さん
- 1967年 / 0歳
- 音楽好きの一家に生まれる。(注1)
- 1970年 / 3歳
- 音楽に合わせて踊る山根さんを見た親の意思で、ピアノを習い始める。(注1)
- 1973~1978年 / 6~11歳
- 小学生。小学5年生の頃、ビートルズの「Please Mr. Postman」を聴いてポピュラー・ミュージックに目覚める(注2)。
- 1979~1984年 / 12~17歳
- 中学生・高校生のときは部活があり、バンドを組めず。(注1)
- 1986~1989年 / 19~22歳
- 大学生。ボーカルを担当する傍ら、音楽スクールに通って歌とアレンジを学ぶ(注2)。
- DEEN結成前
- プールの先生のバイトをしながらプロのミュージシャンを目指す。就職したものだと親は思っていた(デビュー前にちゃんと話した)。(注3)
- 1992年 / 25歳
- 「WARM UP」というバンドに参加(注4)。ボーカルを担当(注5)。
- 1993年 / 26歳
- DEENの一員としてデビュー。キーボードとコーラスを担当する。
- 注1: Break5のツアー・パンフレットより。DEEN OFFICIAL SITEには「15歳の頃バンドを結成」と書いてありますが……。
- 注2: DEEN OFFICIAL SITEの「Profile」より。
- 注3: 2008年4月29日放送のFMヨコハマ「Tips Town」にて発言。泳法全般を教えていたが、生徒は幼稚園児と小学生と大人。水泳は子供の頃に習っていたため得意、とも。
- 注4: 会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.7。
- 注5: 2005年11月7日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」32回目より。
音楽に夢中になったきっかけ
小学校4年生の冬、町内会のスキー合宿に参加した。宿泊先にジュークボックスがあり、中高生の男子が洋楽をかけていた。山根少年は卓球ばかりしていた。だがビートルズの「Please Mr. Postman」が流れたとき、身体中が絞め付けられる、まさに一目惚れのような感覚に陥った
。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.9】
補足
ミニ・アルバム『COZZY』の特典(からアクセスできるWebページ)に、0~26歳のことが詳しく書かれている。怒られそうなので引用しない。
キーボードを選んだのは、生のピアノの音が好きだから。18歳のときにプロになろうと思った。【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.4】
音楽でやっていきたいと思ったのは高校生くらいのとき。純粋に音楽が好きだったからであり、モテたいからという不純な気持ちはなかった。自由に音楽をやれる時間をとるために大学に入ったと言っても過言ではない(笑)
【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.4】
3歳からピアノを始めた。中学生のときは野球、高校生のときはサッカーに力を入れていた。大学に入ってからすぐにバンドを組んだ。バンドは全員男の5人編成。山根さんはキーボードとボーカルを担当。それまで主にポップスしか聴かなかったが、音楽仲間の影響を受けて、ソウル系、ブラック・ミュージック、レゲエからハード・ロックまで聴くようになった。バンドは洋楽中心で4年間続けた。その後、25歳のとき、知り合いのバンドに声を掛けられて参加した。バンドの名前は「WARM UP」。6人編成でAOR中心だった。「Keep on Dancin'」は実はこの頃に作った曲。【会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.7】
山根さんと古井弘人さんはアマチュア時代一緒にバンドをやっていた。【2008年9月8日放送のbayfm「夜カフェdeen」140回目より】
以下、すべて「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。
幼稚園の頃からピアノを習っていたが、小学五年生のときリトルリーグに入ったため辞めてしまった。その頃は洋楽に惹かれていた。
山根さん年上のイトコの家に遊びに行くと流れていた洋楽にすごく惹かれてた。中学になったら、TOTO、ジャーニー、ヴァン・ヘイレン…あとビリー・ジョエルね。
大学に入ってからバンドを組んだ。
山根さんよくモテたいから音楽やるってヤツ多いけど、僕はそういう下心がまったくなかったんだよなぁ。ホントだよ(笑)。とにかく大学に入ったらバンドをやるっていう決意だけは曲げなかった。
バンドを組んでから、仲の良かったドラマーの影響でジェフ・ポーカロなどのAORをよく聴くようになった。大学二年生くらいからコンテストに出まくったが、プロには結びつかなかった。そのため直接レコード会社にデモテープを送るようになった。そうして初めて声を掛けてもらった。しかしそのバンドはメンバーの結婚により消滅した。