田川さんのプロフィールなど

プロフィール

メンバーからの評価

池森さんと山根さんから見た田川さん

池森さんから見た田川さん

山根さんから見た田川さん

会報『DEENIM』Vol.28(2001年発行、p.5)で、山根さんが田川さんについて語っている。それをまとめてみた。

田川さんは音楽・ギター・車・プロレス・お笑い・推理小説への食い付き度は他の追随を許さない

田川さんは一時期、ボウリングとゲームに興味を持っていたらしいが、その後は話を聞かない。山根さんは、本業に差し支えてしまうほど突き詰めてしまいそうで自ら触れないようにしているのではないかと推測している。田川さんは、お兄さんからもらったプレステ2もDVD専用になっているとNEEDayで話した。

興味の湧かないことに対してはからっきし無頓着だそうで、例えば「食」に関してはなんでも旨く感じるらしく、スタジオでも彼ほどカップラーメンを旨そうに食べる男を見たことはありません。ちなみに好物は刺身の“つま”だそうです。

山根さんはアレンジで行き詰まると田川さんに任せることがある。困った時の田川頼み

宇津本さんから見た田川さん

作曲方法

デモ・テープは適当に打ち込んで作る。ギターは入っていない。【「music freak magazine」vol.14(1996年1月号)より】

リズムのパターンやメロディーの持つ温度まで、すべてが固まった上で曲を作る。【『WHAT's IN?』1996年10月号(ソニー・マガジンズ)、p.97】

テレコ(カセットテープレコーダー)を車の中に置いたりバッグに入れて持っている。五線譜にもメモする。作曲していて行き詰まったときは、メンバーのアドバイスを参考にすることも少なくない。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.10】

アイディアをできるだけストックしておく→その中から曲全体のイメージが見えてきたものをピックアップする→メロディー全体の流れをある程度決めてしまう(Aメロ→Bメロ→サビみたいに…)→メロディーにコードをのせていく→細かいテンポ(速さ)も決めつつ再度メロディーを考え直す→コードバッキング(伴奏形態)等も考えつつコード進行をアレンジしていく。 そのあと、曲のイメージをより明確にするため軽くオケを作ったりもします【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.10】

ギター・ソロの部分を作るときはギターが入っていないアレンジのものを何回も聴く。そうすると自分が弾きたいイメージのラインが、明確に浮かんで来るという。【会報『DEENIM』Vol.32(2002年発行)、p.3】

曲を「書く」というよりは「描く」ということを、いつも心掛けている。まずタイトルを考え、そのタイトルから曲をイメージすることを一番大切にしている。【会報『DEENIM』Vol.39(2004年発行)、p.9】

曲をつくるときに、ぼくはイントロのモチーフが浮かんだとするとそこですぐタイトルを考えるんですよ。これどういう方向でつくろうかなって。タイトルを考えて、そのタイトルに合った世界観やストーリーを考えていく【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビューパート2 Vol.1」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa02/tagawa02_01/、2012年5月4日アクセス】

理論から離れたいってここ10年くらい、ずっと考えていたんですよね。 なにかにつけすぐ理論。こういう場合はこうだ、みたいな方法論が先に出てしまって、自分の内側から出てくるものを方法論が邪魔しているっていう実感が、心のなかで強くあったんです。だから曲を作るときも、あえて譜面を使わないとか、最近そういうやり方をやってますね。【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビューパート2 Vol.2」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa02/tagawa02_02/、2012年5月4日アクセス】

歌モノとインスト、作る時に差はあるのかという質問に対して次のように答えている。DEENのために作ってたんだけど、質感がハードになりすぎて、これはソニトリの方がいいかなとか、作ってるうちに分岐するってこともありますね。【2006年8月28日放送のbayfm「夜カフェdeen」35回目より】

ギター・ソロはどうやって考えているのかというと……口ギター(鼻唄)を実際にギターで弾いたらどうなるか考える。それか理論的に考える。メロディーを忘れるくらい別物として考えたり、メロディーのモチーフを使いながらフェイク的にやることもある。いずれにしてもサビへ効果的に繋げることを考える。【2006年10月23日放送のbayfm「夜カフェdeen」43回目より】

最初にタイトルを決めて、そのイメージで作曲していく。【『CDでーた』2007年9月号(角川書店)、p.62】

季節を意識して曲を作ることは少ない。【『月刊Songs』2007年10月号(ドレミ楽譜出版社)、p.47】

アコースティック・ギターで作ることが多い。コードアレンジ、リフ、イントロのイメージが大体出来上がった状態で、プリプロルームの作業に移る。自宅で打ち込んだパートの音色をプリプロルームにある音源に差し替えたり、曲のサイズを決めてデモを完成させます。あと、ボスのGT-8を使ってギターラインを録音していきます【『SOUND DESIGNER』2011年10月号(サウンド・デザイナー、2011年発行)、p.19】

影響を受けたミュージシャン

ギターを始めてから3年くらいはゲイリー・ムーアというギタリストがすべてだった。
影響を受けた人は様々ですね。ゲイリー・ムーアはロック系で、ジョージ・ベンソンやラリー・カールトンはジャズ、フュージョン系、ファンク系のカッティングを身に付けさせてもらったのが、アル・マッケイやポール・ジャクソン・Jrといった感じで、そのジャンルごとに先生を勝手に決めて研究しました。
【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、pp.6-7】

若い頃、Wham!の曲に影響を受けた。【2005年12月5日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」36回目より】

好きな音楽

ギタリストのアルバムをよく聴く。好きなアーティストはノーマン・ブラウン。ジョージ・ベンソンは神。ポール・ジャクソン・Jr.やジェイ・グレイドンも好き。気に入っているCD、おすすめのCDは、ブレッカー・ブラザーズの「リターン・オブ・ザ・ブレッカー・ブラザーズ」。【会報『DEENIM』Vol.00(1994年発行?)、p.9】

年齢とともにブルースに寄ってきているところがある。
ほとんどの音楽の源がブルースというか、ブルースフィーリングに基づいて枝分かれしていると思うし。
【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.7】

心に残っている曲、感動した曲はラリー・カールトンの「Room 335」。
凄くギターを弾きまくるのがカッコイイと思っていた若き時代に(笑)聴いて、肩の力を抜いたようなギターもカッコイイんだなと初めて思った曲
【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.7】

尊敬するアーティストとしてジョー・パスを挙げている。
いくら作品を出し続けていっても満足しなかった人。
【会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.8】

ジョージ・ベンソンを師と仰いでいる。【会報『DEENIM』Vol.5(1995年発行?)、p.8】

最近気に入っているアルバム: ジョン・マクラフリンの『ザ・プロミス』(ただしおすすめしないとのこと)。元気になれるこの一曲: 佐々木功が歌う「銀河鉄道999」のテーマ。夏の夜空にこの一曲: サンタナ「ブラックマジックウーマン」。泣きたいときにこの一曲: サンタナ「ヨーロッパ」。【会報『DEENIM』Vol.7(1996年発行?)、p.6】

今ハマっている人・物は?
ベーシスト、リック・ジェームスのベストアルバム。かなり前の人だけど、ベースラインを考えさせたら右に出る人はいないと思う。
【会報『DEENIM』Vol.7(1996年発行?)、p.6】

夏にぴったりの曲を紹介。Char「SHININ' YOU, SHININ' DAY」(アルバム『Char』より)、VAN HALEN「SUMMER NIGHTS」(アルバム『5150』より)。Charのアルバム『Char』が好き。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.12】

1997年に聴いたアルバムの中から気に入ったものを紹介。George Benson『Best Of George Benson : The Instrumentals』、JOE SATRIANI, ERIC JOHNSON, STEVEAI『JOE SATRIANI - ERIC JOHNSON - STEVEAI G3 LIVE IN CONCERT』、ROBBEN FORD『TIGER WALK』、CANDY DULFER『For the love of you』、Doug Aldrich『ELECTROVISION』。購入するCDの9割はギタリストもの。【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.6】

今注目しているギタリストは、スコット・ヘンダーソン、マイケル・リー・ファーキンス、エリック・ゲイル。【会報『DEENIM』Vol.16(1998年発行)、p.11】

ブルース・コンテというギタリストが結構好き。「Soul inspiration」は、ファンキーで少し泥臭い彼のカッティングの影響が出てるかもとのこと。【会報『DEENIM』Vol.23(2000年発行)、p.3】

最近はアコースティックなものなど、癒し系を聴く。【会報『DEENIM』Vol.42(2005年発行)、p.12】

好きなアーティストは、自分の原点であるゲイリー・ムーア。【会報『DEENIM』Vol.42(2005年発行)、p.12】

お気に入りやおすすめのCDは『the Guitar songs』というコンピレーション・アルバム。【会報『DEENIM』Vol.42(2005年発行)、p.12】

日本で一番憧れているギタリストは増崎孝司さん。外国ではゲイリー・ムーア。【2013年2月27日放送、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」より】

発言集

音楽について

僕にとって音楽とは趣味の域から絶対外れないもので、あまり職業という意識もないんです。楽しんでいる事が音楽でありその楽しんでいる姿が音に出て、聴いている人にそのまま伝わればと思っています。
【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.7】

歌が入っているものを演奏する場合は歌重視でありながら、かつ他の楽器に対しての自分の役割や関係も常に気にしながら弾くということを一番に心掛けてます。 今まではとりあえず自己満足が第一条件だったんですけどね~。
【会報『DEENIM』Vol.3(1995年発行?)、p.7】

セカンド・アルバム『I wish』について。ファースト・アルバムと比べて、ギタリストとしての意識が変わった。以前はどうしたらDEENっぽく弾けるのかなど考えていた。今回は自分の色が出せたらいいなという考えになった。【会報『DEENIM』Vol.8(1996年発行?)、p.6】

ライブを経て、音楽は「生きがい」になった。
今までは音楽が好きでやってて、それで生活してるという思いがどこかにあったんですが、「生きがい」になったんですよね。ライブをやって「この感動を得るために、ここまでやってきたんだ」と。
【会報『DEENIM』Vol.9(1996年発行?)、p.13】

1997年の後半にギタリストの研究をしていた。ギタリストの曲を聴いて、良いと思ったフレーズ(10秒くらい)をどんどんコピーしていた。
ギターキッズ時代はまるまるコピーしたけど、今はいかに自分に持っていない部分を吸収するかってことですからね。
【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.6】

DEENとして1997年に感じたこと、変わったことは?
ただ単に曲の演奏技術を高めるだけでなく、いかにしてよりバンド感を出していくかとか、ファンイベントのアコースティックライブを通して、みんなで歌うことの重要性とか、アンサンブルとかに対しても敏感になりましたね。
【会報『DEENIM』Vol.13(1997年発行)、p.6】

リスナーからのニーズに僕たちは応えるから、リスナーの方ももっともっと楽器のプレイだとか音色とか、そういうものを深く探求する力を付けていって欲しい。願わくばプレイヤーとリスナーが、互いに切磋琢磨しながらより上へ上へと成長していく…そんな関係で居たいと思うんです。
【会報『DEENIM』Vol.32(2002年発行)、p.7】

ギターは原形をとどめないくらいいじる。ギターを始めた頃からいじっている。【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビュー Vol.2」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa01/tagawa01_02/、2012年5月4日アクセス】

レコーディングは、ああでもないこうでもないと何回も繰り返すので、そのうちに新鮮さがなくなってしまうんですね。いつもそれに苦労するんですよ。レコーディングもできるだけライブと同じようなテンションを保って、できるだけ少ない回数で済むように集中することを心がけていますね。
【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビュー Vol.3」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa01/_vol3_21/、2012年5月4日アクセス】

これからギターを始めようと思っている人へのアドバイス。
絶対壁にぶち当たるので、いかに嫌にならない方向に逃げ道を作ってやるかということだけですね。これをやらなきゃいけない、みたいな登竜門的なものは絶対に設定しないことですね。
【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビュー Vol.3」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa01/_vol3_21/、2012年5月4日アクセス】

そのうちにきっと指も動かなくなるし。本当に弾きたくても弾けなくなる……そう思ったら、やれるところまでピークを作っておきたいっていうのはありますよね。
【Yahoo! オークション Guitar Labo「田川伸治さんインタビューパート2 Vol.4」、http://topic.auctions.yahoo.co.jp/music/guitarlabo/tagawa02/tagawa02_04/、2012年5月4日アクセス】

音楽活動は[制作]と[ライヴ]、主にこの2つの柱がしっかりあってこそのものだと思うので、どちらかに偏ってしまっても良くないと感じています。
【制作=充電】
【ライヴ=放電】
そして[活動を休止する]ことは充電にも放電にも当てはまらないと僕自身は捉えています。

【「DEEN OFFICIAL BLOG ~瓦版~」、2008年2月11日の記事】

CDを完全再現しようとしていた姿勢から、それよりも今この瞬間・この空間でしか表現できないものを自分たちの内面から引き出す方向へとアプローチが変化している感覚は実感としてあります。
なぜならば、それこそがライヴだからです。

【DEEN公式ブログ、2011年1月11日付の記事「@鹿児島」、http://gree.jp/deen_g/blog/entry/539442263、2013年7月1日アクセス】

自身について

DEENに加入したときの気持ちは?
自分が加入したことで変わったと言われるのが恐かった
ダンサブルなものが得意で、フォークギター、アコースティックギターを弾くことはあまりなかった。
だから入った時に「自分のスタイルだけじゃ通用しないバンドだな」っていうのもわかったし、逆にそういうところからひとつひとつ、自分の音楽性を広げていける、良い環境に飛び込んだなと思っていました。
【会報『DEENIM』Vol.14(1998年発行)、p.5】

ギターを始めたときから変わらない部分、変わった部分について。変わらない部分は探究心と向上心、人前で演奏できる喜び。変わった部分は使命感を持ったこと。ギターの魅力を知ってほしい、ギターを弾いている人には「もっと頑張ろう」と思ってほしい。【会報『DEENIM』Vol.28(2001年発行)、p.9】

アコースティック・コーナーでのトークについて。山根さんはしゃべれば場が和むキャラクターだが、自分はそういうキャラクターではないため内容で和ませないといけないと思っている。【会報『DEENIM』Vol.38(2004年発行)、p.5】

ライブによって変わったことは?
最初の頃はDEENの中のギタリストとして、どうギターのおいしいところを出すか?ということばかり考えて、ライブにもそんなスタンスで臨んでた。でも、今はギタリストとしての欲求を満たすより、音楽としてどう楽しませる、魅せる、聴かせるかということを客観的に考えるようになったな。
【「DEEN LIVE JOY-Break12 ~Road to 武道館~」のパンフレットより】

自分は途中から加入したという経緯もあり、DEENに相応しいミュージシャンなのか? と悩んだことも。すでに爆発的な人気を持っている、スペシャリストが集まったチームに追いつかなければいけない、認められなければいけないという葛藤に焦った日々もありました
【『DEEN PERFECT SINGLES +』の新星堂版セルフライナーノーツ】

DEEN加入前

年数不明
物心ついたときから音楽が好きで、ラジカセとレコードをお小遣いで買っていた(注1)。邦楽おたくで、ロック等は聴かなかった(注2)。
1984年 / 14歳
中学二年生。クラスにギターのうまい人がいて、爆音でハード・ロックを演奏する姿に憧れ、ギターを弾き始める。(注2)
1986~1988年 / 16~18歳
高校に入学し、バンドを組む。他校の生徒とも組む。バンドを組むことでハード・ロック以外の音楽に触れ、ポップな方向も意識し始める。(注2)
「音楽家になりたい」と親に言ったら「お前には無理だ」と反対される。高校二年生のときから「音楽専門学校に通いたい」と説得し続ける。(注1)
高校三年生のとき、上のレベルを目指して社会人のバンドに参加する。(注2)
スタジオ・ミュージシャンになりたいと思う。理由は「スタジオに呼ばれ、譜面を見てパッと弾いて帰るカッコよさ」を感じたため。(注2 / 他にも様々な理由があったと思いますが)
1989~1990年 / 19~20歳
東京のヤマハ音楽院のギター科に通う(注3)。卒業と共にギターの講師の免許を取得(注4)。
1991~1993年 / 21~23歳
ギターの講師になる。一週間に最大で80人くらいに教える。それと平行してバンド活動を行う。そのうちスタジオ・ミュージシャンという職業を経験する。(注4)
1994年1月8日 / 23歳
DEENに正式加入。

ギターを弾き始めた理由

15歳頃からギターを始めた。クラスにギターを弾くのがすごく上手い人がいて、カッコイイなと思ったのがきっかけ。通信販売の安いエレキギターを買った。最初にコピーしたのはアルフィーの「星空のディスタンス」のイントロ(指一本でできるため)。【会報『DEENIM』Vol.2(1995年発行?)、p.6】

中学二年生の冬休み、お年玉でファミコンを買おうと思ったが、ソフトも買わなくてはいけないし自分の部屋にはテレビがない。その頃まわりではハードロックの影響でエレキギターもひそかに流行っていた。「ようし、これならソフト代なんか必要ないし、ファミコンが上手いよりギターが上手いほうが当然カッコイイよなー」といった感覚でギターを買った。しかしアンプやシールド、ピックに弦と、とにかく必要なものが多く、お小遣いがいくらあっても足りない状態に。それでも少しずつ買いそろえた。【会報『DEENIM』Vol.6(1996年発行?)、p.10】

ギター講師

会報『DEENIM』Vol.16(1998年発行、p.10)に、田川さんは以前ギター講師をしていたことがあると、さも当前のように書かれている。これ以前にもどこかで話したことがあるのだろうか?

DEENに加入するまでギターの先生をしていた。教え子の中にはキンモクセイの後藤さんがいた。(池森さんの話を要約)【2005年8月8日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」19回目より】

ギター講師を務めながら、いろいろなタイプのギターが弾けたらいいなという思いからスタジオ・ミュージシャンの道へ進んだ。【2006年2月13日放送のbayfm「夜カフェdeen」7回目より】

「DEEN Summer Resort Live '07」の茨城公演のオープニング・ムービーでは、栃木県で教えていたと発言。

バンド活動

ファースト・ソロ・アルバム『A SURVIVED SCARECROW』の解説書には、音楽専門学校に2年間通う卒業後、3年ほどラテン・ファンク・バンドで経験を積む。そのバンドと並行してスタジオ・ミュージシャンの仕事も始めるとある。そのバンドとは、「木戸紅男 & The Oriental Gang Stars」だろうか? メンバー・チェンジで田川さんが加入した模様。バンドのオリジナルCD第一弾として『勢』を1990年12月20日に発売。

バンドは1991年7月21日、『ヨコハマ・ナターシャ』でメジャー・デビュー。「NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1990-1991」と「NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1991-1992」に参加したこと以外の情報なし。

スタジオ・ミュージシャン

「KEY WEST CLUB(中谷美紀さん)」が1992年6月21日に発売したアルバム『UNBELIEVABLE』に参加しているらしいが、クレジットに名前なし。

田川さんは、スタジオ・ミュージシャンとして、ある編曲者の仕事をしていた。その人はDEENも手掛けていて、そこでDEENと出会った。その後、なぜかDEENのメンバーとして参加することになった。【「Yahoo! オークション Guitar Labo『田川伸治さんインタビュー Vol.1』」より】

その編曲者は、田川さんと同じ専門学校の出身で、当時「Being」を中心に活躍していた。そのうち他の編曲者からも仕事の依頼が来るようになった。【「Yahoo! オークション Guitar Labo『田川伸治さんインタビュー Vol.2』」より】

推測ですが「その編曲者」とは、大島康祐さん?

補足

19歳から20歳の頃、ものすごく練習していた時期がある。【会報『DEENIM』Vol.4(1995年発行?)、p.8】

音楽の道に進もうと思ったのは高校三年生のとき。【会報『DEENIM』Vol.5(1995年発行?)、p.8】

上京後は家賃1万9千円の、山のてっぺんの、風呂無し・トイレ共同の物件に住んでいた。【会報『DEENIM』Vol.11(1997年発行?)、p.6】

以下、すべて「DEEN LIVE JOY-Break11 ~Diamonds~」のパンフレットより。

田川さんのルーツは西城秀樹さんだという。
田川さんウチの両親はTV以外で音楽を聴くなんてことなかったから、流れてきたのはもっぱらベストテン番組。みんなキラキラしててカッコよくて。だから最初は歌手に憧れたんですよ。
カラオケが一般的な時代ではなかったから、自分の実力を比べるとしたらテレビの歌手だけ。
田川さんこんなにヘタじゃ歌手には到底なれないと思った
そこでギターと出会った。
田川さん“光が見えた”って言っても過言じゃなかった。歌には限界があったけど、当時中学で他にギターをやってるヤツは少なかったし、ギターなら今から頑張ればヒーローになれるんじゃないかと思って。

高校時代は掛け持ちでバンドをやった。そのためスタジオ代がかさんでしまい、悩んだ結果そうだ、社会人とやればスタジオ代を出さなくてすむかも!と思いついた。しかしそうして違う世代の人とやったことで初めてプロ意識を持った。

音楽漬けになりたくて上京し、専門学校に入った。そして……
田川さん自分が地元で“ピノキオ”になっていたことを思い知らされました
ひたすら努力する日々が続いた。練習でバイトもできなかったためお金がなく、誰かの家に泊まらせてもらっていた(家は借りていた様子)。

田川さん卒業後はギター講師とスタジオミュージシャンをやりながらも、つねにプロへのチャンスを狙ってました。やっぱり表に出てこそ…と思っていたので