1993年の超略歴

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個々の活動をしていた彼らは、プロデューサー長戸大幸を介して出会い、1993年3月10日、シングル『このまま君だけを奪い去りたい』でデビュー。この曲はNTT DoCoMoポケットベルCMソングとして起用され、ヴォーカル池森の訥々と歌い上げるおだやかなバラードが大反響を呼び、ミリオンヒットを記録する。その後もヴォーカル池森の持つ声の魅力を余すところなく伝えるシングル『翼を広げて』、『Memories』、『永遠をあずけてくれ』をリリース。これらの楽曲も発表と同時に反響を呼んだのは言うまでもない。

【アルバム『Ballads in Blue ~The greatest hits of DEEN~』のライナーノーツより】

デビュー当時、池森さんは歌詞を書いては歌う、歌詞を書いては歌うの繰り返し。「顔の見えないバンド」と言われていたが、それはDEENメンバーにとっても同じことで、本当に自分たちの歌を聴いてくれている人がいるのか?と思っていた。【『月刊Songs』2008年6月号(ドレミ楽譜出版社)、p.39】

デビュー当時について、池森さんは次のように話している。――毎日レコーディングスタジオに入っては、詞を書き、歌い、朝になるころ帰宅して、また午後からスタジオに入る。友人との予定も組めないハードスケジュールで、明日のことを考える余裕もなかった。【アルバム『DEEN PERFECT SINGLES +』の新星堂版セルフライナーノーツ】

今だから落ち着いて話せるが、デビュー当時、1993, 94, 95年ぐらいまでは、例えば歌詞の内容を理解して歌うとか、そんな余裕はなかった。めまぐるしく、毎日毎日レコーディングしてはボツが出て、の繰り返しだった。受験勉強をしているような……。今思うと厳しくされていた。でもそれがよかった。【2008年12月1日放送のbayfm「夜カフェdeen」152回目より、池森さんの話の要約】

「DEEN」という我がバンドは、当初の1、2年はほとんどメディアに登場することはなく、またTVに出演するようになっても曲を演奏するのみでトークの時間はほとんど取りませんでした。【中略】バラエティ化している音楽番組に出演し、ミュージシャンとしてではなく芸能人的なとらえ方を観ている人達に持たれるのも遠慮したかったし、それによって音楽以外の部分を期待されるようになるのも嫌だと言うことで、極力演奏での出演にしぼらせてもらっていました。【会報『DEENIM』Vol.27(2001年発行)、p.9、山根さんの発言】

2005年11月7日放送のbayfm「IKE-IKE-FOREST」32回目にて、以下のような会話があった。
池森さん「ウォーム・アップっていうバンドの、やまねっちはボーカリストだったの。で僕は、札幌から、ソロを目指して出てきてたのね。で、同じ制作ディレクターにデモが行ってて、同じディレクターの人に見てもらってたわけですよ。ある日、『このまま君だけを奪い去りたい』のプロジェクトがあってですね、もう歌詞もね、CMから何から全部決まってて、じゃあ誰が歌うんだっていう話になって、で、当時プロデューサーが『ほら、北海道から出てきたさ、池森っていたじゃん。試しに、試しでいいからあいつに歌わせてみて』っつって、僕も担当ディレクターから『池森、試しだから、ちょっと歌ってみて』っつった試しが決まっちゃったわけよ。で、そこで、あのー……」
山根さん「バンド編成にしようかっていう話でね。それで僕はピアノとか、コーラス的なやつを、やらないかと言われまして、そこで秀ちゃんと会ってね。」
池森さん「実際どうだったんですか、やまねっちは。僕は、試しで歌ってみた結果、じゃあバンドにするからって話で。やまねっちはさ、自分たちのバンドがあって、そこでソロ・ボーカリストだったのに、DEEN組むけど、どうだったんですか。」
山根さん「もう、すぐ『やりますよ』ですよ。 [略] とりあえず、来た仕事は断らない主義だったんで。やろうかなぁという話で。秀ちゃんの声も聴いて、すごいいいなぁと思って。心のこもってる歌でね、これは一緒にやりたいな、と。」