1996年の超略歴

作品名、ライブ/ツアータイトルは各詳細ページへと繋がっています。


シングル『ひとりじゃない』、『SUNSHINE ON SUMMER TIME』、『素顔で笑っていたい』をリリース。コンスタントに作品を発表しながらも、メンバーは、音楽的試行錯誤を繰り返していた。そして、DEENの方向性を考えていた2年間の中で、一番いい状態で出せたという2ndアルバム『I wish』をリリース。4人が作曲するという強みを最大限に生かした多彩なこのアルバムは実に100万枚に迫るセールスになった。同年、初の全国ツアー「DEEN LIVE JOY-Break1」を展開。

【アルバム『Ballads in Blue ~The greatest hits of DEEN~』のライナーノーツより】

DEENはメンバー全員が曲を書けるが、曲を書いてきた人が主導権を持つので収拾がつかなくなることはない。自分らしさを出すこともDEENらしさを守ることも、どちらも大切。【『J-ROCK magazine』1996年4月号、Vol.11(ジェイロックマガジン社、1996年3月1日発行)、pp.21-22】

1枚目のアルバム『DEEN』のあと、シングルを2・3枚出したところで2枚目のアルバムを出そうという話もあった。シングルを出すたびにアルバムのコンセプトを修正したため、『I wish』のアルバム曲(新曲)は5曲だが、実際はこの倍以上レコーディングした。【『WHAT's IN?』1996年10月号(ソニー・マガジンズ)、pp.96-97】

山根さんはBreak1の初日の札幌に向かう飛行機の中で、ものすごいプレッシャーに襲われた。どこかに緊急不時着しないかななど考えるほど。【「DEEN LIVE JOY-Break15 ~History~」のパンフレットより】

ツアーを経験して、不足している部分や課題が見つかった。人前に出ることの大切さや責任も感じた。「ライブ向けの曲を作る」という課題も残った。【『WHAT's IN?』1998年1月号(ソニー・マガジンズ)、p.101】

1996年を通して、ライブを終えて、見つけたものについて次のように話している。【会報『DEENIM』Vol.9(1996年発行?)、p.6】
田川さん: 今までは少し流れに身を任せていたようなところもあって…。それが自分からいろいろな欲が出てきました。今まではいい作品を作ることが最優先だったけど、今後はライブをやる意味とか重要性、アルバムとの流れ、など大きな流れとして考えられるようになりました。
山根さん: バンドとしても回を重ねるごとに、言葉では言えないけど、強く結び付くものができたと思う。

初の全国ツアー後、メンバーはデビュー以来の充電期間に入ることになる。【ビデオクリップ集特典『DEEN THE GREATEST HISTORY BOOK 1993-2002』より】