1997年の超略歴

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再び制作活動に専念した彼らは、約1年ぶりに壮大なスケール感のバラード・ナンバー『君がいない夏』を発表。ナムコのプレイステーション用ロールプレイングゲーム「テイルズ オブ デスティニー」の開発スタッフとして参加し、テーマ曲『夢であるように』(作曲:DEEN)をリリース。(後にPlay Station Award '98テーマソング賞受賞)また、この冬行なわれた長野冬季オリンピックを支えるボランティアを支援したいという彼らの意志に基づき、長野冬季オリンピックボランティア公式サポートソングとして、『銀色の夢 ~All over the world~』を提供するなど、この年DEENは活動の域を一気に広げることになる。

【アルバム『Ballads in Blue ~The greatest hits of DEEN~』のライナーノーツより】

過密スケジュールであった前年度と一転、充電期間が続いた【ビデオクリップ集特典『DEEN THE GREATEST HISTORY BOOK 1993-2002』より】

1997年前半は楽曲を制作していた。長い制作期間の間、ずっと応援し続けてくれたみんなに、今こそ何かしてあげたい、何よりもみんなに逢いたい、と考え、その思いがファンイベントという形になった。このイベント内で、DEENにとって初の試みとなったアコースティックライブをおこなった。【会報『DEENIM』Vol.15(1998年発行)、p.2】

メンバーが良いと思えば他のアーティストの楽曲も取り入れる。「君がいない夏」もそうだった。楽曲の良さに惹かれて制作に入った。ただ一年振りに発表するシングルだったため、少し不安もあった。しかし聴き手は受け入れてくれた。【アルバム『Ballads in Blue ~The greatest hits of DEEN~』の新星堂版セルフライナーノーツ】

「夢であるように」について、山根さんは次のように話す。――いろいろなことを試して、いいものを作るにはどうしたらいいかっていう自分達のやり方を模索していた時期だったと思います。DEENのバンドとしての方向性を考えていこうとしていた時期の、いろいろな意味でターニングポイントとなった作品でしたね。【会報『DEENIM』Vol.27(2001年発行)、p.4】

池森さんは、「夢であるように」に関する話のなかで、次のように話す。――伝えたいメッセージとかイメージは、DEENの場合はデビュー以来ずっと変わっていないと思う。サウンドにしても大きな方向性でいえば同じだと思うんです。【『テイルズ オブ デスティニー ナムコ公式ガイドブック』(ナムコ、1997年12月23日発行)、p.165】

田川さんはシングル『夢であるように』について、次のように話す。――今回のシングルは、今までのDEENの音楽性が融合されていて、自信を持ってこれがDEENだと言えるような作品が出来たと思います。【フリーペーパー『music freak magazine』Vol.37、1997年12月号(1997年12月10日発行)、p.7】

1997年はアルバムのための制作活動が中心で、次のアルバムはコンセプチュアルなアルバムにしたいとメンバーは話している。ライブツアー (Break1) を経験して、自分たちに足りないものや挑戦すべき課題が見つかり、それを次の作品に生かしたいと考えた。ライブ向けの曲を作るという課題も残った。【『WHAT's IN?』1998年1月号(ソニー・マガジンズ)、p.101】